8/24new! 横浜名瀬道院メンバーのご紹介

父親に紹介されて小学1年生から始めた人。ブルース・リーに憧れて小学4年生から始めた人。中学、高校、大学、それぞれのタイミングで始めた人。大学卒業から30年のブランクを経て再び道衣に袖を通した人。大学少林寺拳法部OGの娘に紹介されて始めたお母さん。婚約者の父親から勧められて始めた人。なんとなく始めて、いつのまにか夢中になった人。

きっかけは十人十色。でも、みんなに共通しているのは、少林寺拳法が好き!という気持ちです。個性豊かな仲間が集う、まるで”人間動物園”のような(失礼!でも褒め言葉です)、ユニークな仲間たち。そんな横浜名瀬道院の拳士たちを、少しずつ紹介していきます。

なんとなくの一歩が、大切な”縁”につながった (40代女性)

一言で言うと「なんとなく」だろうか。
私がこの世界に足を踏み入れたのは、「少林寺拳法をやろう」という明確な意思を持たずに入門した稀有なケースであろう。

コロナ禍後半、世間のいろいろな活動が再開しつつある時、職場の近くで運動の教室があるのを見つけた。
仕事帰りに少し体を動かそう、程度のつもりで申し込んだ。選択肢はヨガか少林寺。日程の都合で少林寺を選んだだけだった。

根性論の体育会系の指導だったらどうしよう、と不安を抱きながら向かったが、初心者向けに丁寧に教えていただき楽しく体を動かせた。教室が全回終わると、東戸塚の練習に参加してみないか、と連絡がきた。我らが名瀬道院の道院長からである。お言葉に甘え、ホイホイと練習に参加させていただいた。

参加後、心に火がついたわけではなく、週一で運動できるのはいいな、くらいの気持ちだった。
皆さん試験を受けるのか、自分は技ではなく準備運動だけで充分だけど、と思っていた。そんな日々を送っていたら、気づいたら入門することになった。

全く少林寺に携わらない環境に生きてきたので、これも縁であろう。縁は大事だ。何気なく始めたことは意外に長く続く。周りの方々の優しさ、丁寧なご指導、壊滅的に覚えの悪い私を見捨てないでくださる根気強さのおかげで、その後も続けてこれたと思う。

仕事や学校とは違う、様々な年代、バックグラウンドを持つ方と一緒に時を過ごせるのはとても刺激になる。自分の見たことのない新しい世界に触れられる。

そういった意味でも自分にとって価値があったと思う。あの時の何気ない一歩で、日々に新しい彩りが加わった。

道着を着て少林寺に参加していることに、自分が一番ビックリしている。

布団の中から道場へ〜少林寺拳法10年史(20代男性)

私は当初、経験者である父親の強い勧めで、少林寺拳法を始めました。私は中学1年から現在まで約10年間、少林寺拳法を続けています。中学高校は部活動で、大学入学以降は横浜名瀬道院で修練に励んできました。

中学1年の時、特に運動神経が高くない私は部活動選びに迷っていました。なんとなく健康に良いだろうから運動しようかなーと思っていたところ、少林寺拳法経験者であった父の強い勧めにより、とりあえず少林寺拳法部に仮入部をしました。

私の学校は中高一貫であったため、中学生と高校生が一緒に修練をする環境でした。その時に見た高校生は体が大きく、迫力がありました。特に演武をしている際の鋭い目つきは「殺される…!」という恐怖さえ感じるとともに、次第に「自分もこうなりたい」と思うようになりました。

また、その一方でそんな怖い先輩方が後輩に技が出来るようになるまで丁寧に教えてくださっていたため、「これならやっていけそう!」と考え、入部を決めました。部活動では技を学び合い、大会に向けてひたすら練習を重ねていました。練習に疲れ、高校三年生の引退時にはやり切ったという思いが強かったため、もう少林寺拳法をすることは無いかと正直思っていました。

大学入学後、当時は新型コロナウイルスが蔓延しており、家で布団で寝ながらオンライン授業を受け、暇だからバイトに行くという生活をしていました。サブスクリプションで観たかったアニメや映画を一通り観終えた頃、こんな怠惰極まりない生活を続けていて大丈夫かと不安を覚えました。

そこでまず思い浮かんだのが中高で区切りをつけた少林寺拳法でした。近くに道院がなかったため、中高の部活動の顧問に相談したところ、横浜名瀬道院を紹介してもらいました。
そして、見学に行った際に自分自身の未熟さに気付かされました。私は中高約6年間修練をしてそれなりに自信がありましたが、基本の基本から修正されたり、常識だと思っていたことが非常識だったり、まだまだ初心者だと思い知らされました。

また、技が奥深く、多くの高段者の方から多くのやり方を教わることで少林寺拳法の楽しさに気付かされたことで、再開を決心し横浜名瀬道院へ転籍をしました。横浜名瀬道院では学生のために就活道場を行っており、就職活動を控えた学生に模擬面接や情報収集をしてくださいます。これは少林寺拳法を修練している後輩のために善意で行っているということを聞き、開祖が言った「少林寺拳法は勝ち負けにこだわらない、人づくりのための行である」という教えを思い出しました。

思えば、何気なく技を教えあっていることは「少林寺拳法を通じて相手を思いやる心を持つ人を増やし社会を良くしていく」という考えを忠実に体現しているのだと改めて感じました。
技だけでなく、少林寺拳法の魅力ある教えを学び、人にも伝えられるような人になりたいと思います。

あの時、こわごわ入った道場で (20代女性)

私が少林寺拳法を始めたのは24歳のときです。きっかけは、結婚の挨拶に行った義実家で、義父から少林寺拳法を勧められたことでした。
話を聞くうちに、子どもの頃に近くの空手道場や剣道道場をかっこいいなあと思っていた気持ちを思い出しました。
夫も私も、就職を機に縁もゆかりもない横浜へ越してきたので、少林寺拳法を始めるなら、知らない道場へ一緒に行く人がいるということ!連れが黒帯であるということはさておき、「1人で行くより怖くない!とりあえず見学行ってみよう!」という勢いで、近所の道院の見学に行きました。

そして来る見学の日、恐る恐るドアを開けると、そこには黒帯のおじさまばかり…。やっぱり、場違いかもしれない…なんて思ったのは最初の5分だけ。おじさま方は、会社の上司たちとは違って(笑)、とてもフランクで面白い方ばかりでした。構え方ひとつわからないペーペーにも、わかりやすく楽しく教えてくださいました。
「少林寺拳法は自分からは攻撃しない。相手の攻撃を利用して技をかけるから、力の弱い女性でもできる。」という道院長の言葉に背中を押され、すぐに入門を決意しました。

あれから早いもので4年が経ち、白帯のペーペーだった小娘は、茶帯の2級となりました。
今では道院に女性や若者も増え、私が始めた当初以上に賑やかで明るい雰囲気になっています。
それでも「みんなで親しく、たすけあう」という本質の精神は変わっていません。

私も2級となり、教えられるばかりではなく教える立場となることも増えてきました。
名瀬道院には黒帯の先輩方が大勢いらっしゃいますが、級の近い私だからこそ、伝えられる視点があると思います。

今では、自分が教わることばかりではなく、周りの人のために自分に何ができるのかを考えるようになりました。まだまだ未熟者ですが、これまで先輩方にしていただいたように、楽しく親しみやすいアドバイスができる存在になりたいと思っています。

気づけばまた道衣を着ていた〜再び始めた理由 (20代男性)

私が少林寺拳法を始めたのは、小学1年生のときです。
少林寺拳法をしていた父に同行し、道院を訪れたことがきっかけで、気付いたら自分も拳士になっていました。
地元新潟県の道院には、同級生の拳士が2人いたので、遊びの一つのような感覚で毎週楽しく道院に通っていました。

大学進学を機に、一度離れることになりましたが、「少林寺拳法の拳士である」という気持ちが頭の片隅にあり、就職で横浜に来てから、再開を決意しました。

どうせ通うのなら家から近いところが良いなと、東戸塚付近の道院を調べていたところ、「横浜名瀬道院の先生、全国各地へ教えに回っていたこともあるすごい人なのでは?」と思い至り、見学を申し込みました。
見学時には「おしゃべりな人が多く、和気あいあいとした雰囲気だな」という印象を抱きました。
 
そんな雰囲気に魅力を感じて、横浜名瀬道院で少林寺拳法を再開することにしました。

修練中は「もっとこうしたら、技をかけやすくなるよ」、「力が入りすぎているから、もう少し力を抜いてみて」とお互いに教え合ったり、
休憩時間には「この前、娘からお父さんキモイっていわれてさー」、「この間の海外出張でこんなところに行ってさー」、などのように会話が絶えなかったりと、いろいろな世代・職種の方々とお話しできて、とても面白いです。

私は12月に四段を允可しましたが、正直なところ自分が思い描いていたような、かっこいい四段の拳士にはなれていません。
また、新しいメンバーに技を教える機会が増えるにつれて、簡単だと思っていた技の奥深さに気付き、改めて少林寺拳法の難しさを実感しています。

これからも仲間たちと切磋琢磨し、たくさんのことを吸収して技を磨きながら、他の人に分かりやすく教えられるような存在になりたいと思っています。

武と学をつなぐ旅〜少林寺拳法と私の40年 (60代 男性)

少林寺拳法との出会いは大学生だった1980年代。三段になったのは卒業から11年後。仕事での成長期と家族の形成が優先する時期だったので、修練が何度も中断したのは止むを得ません。

本格的な再開は、海外赴任から地元札幌に戻った40代になってからです。職住近接で通勤時間が減ったことに加え、中高の同級生のお子さんやご家族の入門という時空を超えた法縁に背中を押されました。

少林寺拳法との向き合い方は、自分の練習に重きを置いたり、武道らしい型にはめたりするより、子供らの身体能力や生活態度も含めてどうやったらよくなるかという方向に変化しました。心がけたのは、「怪我させない、飽きさせない、疲れさせる」でした。少林寺拳法の道場というより夜間幼稚園という感じでした。

一方、社会人生活折り返し点を迎えていたので、学び直しのために大学院に入学したら、不思議な既視感と出会いました。というのは、「一人ではできない、集中しないとできない、継続しないと物にならない」という点で学問と武道に差がないことに気付いたからです。大学院修了後、少林寺拳法武道専門学校での研究科までの課程を修め、気付きは確信になりました。文武両道。学ぶ手段が身体か文字かだけで、文も武も学ぶという点では違いはありません。

コロナ禍と私の単身赴任のため札幌の道場は閉鎖を余儀なくされましたが、横浜名瀬道院との法縁に恵まれました。少林寺拳法は私を見捨てなかったのです。

私がたどり着いた結論は、武道は個人の成長システムというもの。そこで学ぶべきことは真摯さ。自分に向ければ自律と自立、組織に還元するとリーダーシップです。次世代が次々世代を育成する場合の参考になるように知識や経験の習得と体系化を心掛けたいと思います。

止まっても、遠回りでも〜また道場へ(40代 男性)

私が少林寺拳法に入門したのは小学校4年生の時で、まだ9歳で、父に無理やり入門させられたのがきっかけでした。小学生のころ、私は地元の福岡県に住んでいたのですが、当時、「南福岡道院」という道場に通っていました。

その頃は、私は少年部だったので同じ年頃の仲間たちとワイワイ騒ぎながら仲良くやっていたという感じでした。しかし、私が中学1年生のころ、その道場が閉鎖となってしまい途方に暮れていたところ、父が自宅近くに新しく道場が出来たことを教えてくれました。

私はさっそく見学に行き、その場で入門することに決めました。その道場が「福岡中央道院」であり、私が神奈川県に来る27歳までお世話になった道場でした。当時、中学生から一般の部として他の大人の拳士と一緒に練習をしていたのですが、体格差もかなりあり、練習も大変だったと記憶しています。しかし、今思い返してみれば、道院長である浦先生の指導のもと、このころから本気で少林寺拳法打ち込み始めた と思っています。人に何かを教えていただいて本心から「楽しい」と感じさせてくれたのは浦先生が初めてだったと思います。本気で打ち込むと楽しさがさらに増すもので、基本練習から、剛法、柔法、演武とすべての練習が楽しくて夢中になっていきました。そのおかげで、福岡県を離れる27歳までに三段を取得することができましたし、全国大会も経験することができました。

その後、就職のため神奈川県に来たのですが、仕事が忙しいこともあり、約10年間ブランクがありました。しかし今では「横浜名瀬道院」で外山先生指導のもと、少林寺拳法を再開し四段を取得させていただきました。

少林寺拳法の良さは、その教えや技術だけではなく、人との出会いや日本全国どこへ行っても同じ練習ができるというところにあるのではないかと感じています。

私ももう若くはありませんが、体の動く限り少林寺拳法を継続し、健康でい続けること、また人との出会いを大切にしていきたいと考えています。